宵の囁き

その日の夜番の巡察隊も屯所を出て行き、喧騒の余韻も密やかな風に吹き散らされた頃。
ぴたりと隣と隙間無く敷かれた自分の布団に潜り込み、小さな声で総司がセイに話しかけた。

「ねぇ、神谷さん。そろそろ暑くなってきましたよねぇ」

話しかけられた神谷清三郎こと富永セイは男と偽り新選組に入隊したが、れっきとした女子であり、
隊内でその秘密を知る者は隣の布団に横たわる一番隊組長の沖田総司しかいない。

総司の声に少しだけそちらに身を寄せるようにしながら、セイも小声で答える。

「そうですねぇ。洗濯物の乾きが良いのは嬉しいですけれど、あまり暑くなると
 体力の落ちる隊士も出てきますし、気をつけなくてはいけませんね」

隊士達の健康にも気を配るのは父が医者だった影響なのか、元々のセイの優しい気質からなのか、
どちらにしても神谷さんらしいな、と総司は小さな笑みを浮かべた。

寝床に入る前に縁から見上げた空には刀で切りつけたような細い細い三日月。
二人の居る部屋も漆黒の闇というほどではないまでも、互いの影がぼんやり判別できる程度だ。
そんな中でも小さな総司の笑みをセイは感じ取ったらしい。

「私、何か変な事を言いましたか?」

「いえ、神谷さんにとったら洗濯物も隊士の健康も同等の心配事なんだなぁ、
 って思っただけですよ」

「そんな意味じゃありませんっ!」

笑みを交えた総司の揶揄にセイが僅かに語調を強くする。

「あははっ、わかっています。冗談です。」

眉を跳ね上げぷくりと頬を膨らませた可愛い顔が闇の中でも見えるようで、
総司が柔らかに低い声で宥めた。


それでもしばらくはセイの不穏な感情の気配が漂っていたが、ようやくその波が
静まった頃を見計らって総司は再び声をかける。


「ねぇ、明日は夜番だから昼間は時間があるでしょう? お願いがあるんですよ」

「甘味処ですか?」

またか、という感情を雄弁に含ませたセイの言葉に総司は苦笑する。

「いいえ、そうじゃなくてね。神谷さんに作って欲しいものがあるんです」

「私に?」

「えぇ、暑くなると思い出して食べたくなるんですよねぇ・・・」

甘味じゃないものを食べたがる総司など珍しい事だ、とセイは次の総司の言葉を待った。
総司はずりずりと自分の布団の一番端、セイに最も近い場所まで身を寄せると小さな声で囁く。

「あの池田屋の後、私が寝込んでいる時に作ってくれたでしょう?
 茄子と山鳥の蕎麦汁。江戸風の濃い醤油の汁にとろりとした茄子と
 骨まで細かく叩いて小さなお団子にした山鳥が入っていて
 ・・・美味しかったなぁ」

「あぁ、あれはたまたま山鳥を八木さんからいただいたので」


総司の言葉にセイも思い出した。
池田屋の戦闘中に熱病で昏倒した総司は、その後屯所に戻ってきても
暑さと体に籠もった熱っぽさからかひどく食が細くなってしまった。
食べるものを食べなければ体力とて落ちる一方なのを危惧したセイが、
総司の食事は賄い方には任せずに全て自分で作っていた。

もともと食べ物の好き嫌いなど無いような人なので特に好物がある訳でもなく、
総司の食欲を戻すために随分と試行錯誤したものだ。

そんな中、江戸風の濃い目のつけ汁で蕎麦を出したら残さず食べてくれたので、
次は少しでも滋養になるものをと、鳥を食べやすく団子状にして汁に入れた物を出した事があった。


「どうにも体がだるくて甘味でさえ美味しいと思えなかったのに、ペロリと食べてしまって。
 お代わりをしようと思ったら、もう原田さん達が食べちゃってて悲しかったんですよ〜」

拗ねたような総司の声色にセイは首を傾げた。

「でも先生はあの時、美味しいとか全然言ってくれませんでしたよ?
 そんなに気に入ってくださったとは知りませんでした」

「だって・・・あの時は池田屋で貴女に守られて、戻ってきても貴女に気遣われて、
 何だか悔しかったし情けなかったんですもん」

食べ物の事を言うどころではなかったんですよ、と呟く総司をセイは闇の中透かし見た。

一番隊組長であり局長の片腕たる事を自分に課している身としては、
池田屋での事は恥以外の何物でもないのかもしれないと改めてセイは気づく。
だから総司が先ほど自分の方に身を寄せ、こそりと小さな声で話しかけてきたのだと理解した。


「そんなに美味しかったですか?」

セイもスルリと総司の方に身を寄せると、その耳元に吐息がかかるほど近くで囁き返す。

「ええ、すっごく。あの時の冷たいお蕎麦をつけて食べるのも良かったけれど、
 白いご飯にかけて食べたいなぁ、って思ったんですよねぇ」

「それ、原田先生がやってましたよ。蕎麦なんてまどろっこしい、こっちの方が絶対に美味いって
 バシャバシャかけてかきこんでました」

クスクスとセイが笑う。

「え〜、原田さんったらずるい〜」

「ずるいって、先生」

「私だってそうやって食べたかったのに・・・山鳥団子の出汁を吸ってとろりとした茄子と
 お団子のほっこりした柔らかな旨味。それを引き締める清々しい茗荷の風味と シャッキリした歯ごたえ
 ・・・懐かしいお醤油味の汁を白いご飯にかけて・・・」

セイには甘味を語る時のように、総司のうっとりした表情が見えるようだった。

「作ってあげますよ」

子供のように期待に満ちた総司の顔を思い浮かべ、微笑みながらセイが言う。

「先生が食べたいと仰るなら、作ってあげます」

「本当ですか?」

セイの期待を違えず、弾んだ声で総司が問い返し言葉を続ける。

「だったら明日は早起きして市に行って、山鳥と茄子と茗荷を手に入れてこなくてはいけませんね」

「それと生姜もです」

「そんなものも入っていたんですか?」

「えぇ、山鳥の臭み消しです」

感心したように闇の中で総司が頷く気配がする。

「へぇ・・・あ、それと胡瓜の浅漬けも作ってくださいよ。神谷さんのが一番美味しいんですよね〜。
 賄所の皆さんには悪いんですけれど」

「あれは隠し味に少し梅干を入れると美味しいんですよ。でも先生って意外に甘味だけじゃなく味にうるさいんですねぇ」

甘味以外の食べ物に関して総司が何かを言うなど初めて聞いた気がして、セイが少し不思議そうに問いかけた。

「違いますよぉ。私は神谷さんが作ったものが美味しいって言ってるだけです。
 別に普段は食べ物なんて気にしませんもん」

「そ、そうですか・・・」

野暮天王はセイの頬がボボッと桜色に染まった事に気づかない。

「明日が楽しみだなぁ。近藤先生と土方さんの分も作ってあげてくださいね。
 絶対にあのおふたりも好きですよ、あの味!」

「だったら原田先生達の分もですね。ちゃんと作っておかないと局長達の分を取られてしまいますよ」

「うわぁ、だったらたくさん作らないと駄目ですねぇ」

隣と重なった掛け布の下で総司の腕がもぞりと動き、セイの手を捜して握り締めた。
大きな硬い手の平で包まれた小さく華奢な手がピクリと動くのを気にせずに、
総司は親指ですりすりと甲を撫でる。

「こんな小さな手で山鳥をたくさん扱うのは大変ですよね。私も手伝いますよ」

「だ、大丈夫です。こう見えても鍛えてるんですから」

総司に包まれた手の平に心の臓が移動したのではないかと思えるほど熱を持ち
熱く脈打つのを抑えつつ、セイが上ずった声を出す。

「それに先生は、つまみ食いばかりしそうだし・・・」

「そんな事しませんよ。ひどいなぁ、神谷さんってば」

闇の中で手を繋いだまま、低く囁く穏やかな男の声と澄んだ柔らかな声が暫く続き。
やがて・・・すぅすぅとふたつの寝息が聞こえてきた頃。




むくりむくりと闇の中、ふたりの会話に耳を欹てつつも寝たふりを続けていた
いくつかの影が起き上がり、小さな溜息があちらこちらから零される。

「もぅ、俺、限界。腹減った。賄所に何か残ってないか見てくる」

極力音を立てないように足音を抑えて数人が部屋を出る気配がする。

「こんな時間にいちゃいちゃしながら、しかも夫婦みたいな会話をしないで欲しいよなぁ」

溜息混じりに相田が口を開くと、あちこちから小さな応えがあった。

「腹も減るしなぁ。あんな美味そうな表現されちゃぁ」

「減るのは腹だけかぁ?」

「悪かったな、心も餓えるよ。いいよな、沖田先生は」

総司の寝ているあたりに悋気を含んだ尖った視線が幾つも投げかけられるが、
そこからは平和そうな寝息しか聞こえない。
闇の中、潜めた声は思いの他響くもので、セイの甘やかな声音を耳元で囁かれる
総司を羨ましく思いつつ息を潜めていたのだ。

「神谷、俺達の分も作ってくれないかなぁ?」

少し期待の滲んだ声に諦めを含んだ声が返される。

「無理じゃないか? 作ったら作った分だけ原田先生が食べちまいそうだ」

「あはは、確かに」

「でも頼むだけでも頼んでみようぜ。神谷だったら作ってくれるかもよ」

「そうだなぁ」

「作ってくれるといいなぁ・・・」



小さな声で交わされる鬼の住処とも思えない平和な会話に、空で三日月が微かに笑った。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
一期一恋:那由さまより頂戴しました。
幼い頃から男所帯で育ったセイちゃんは、料理は上手なんでしょうね^^
私のお腹も ぐ〜っ ですよ。
原田さんの食べ方、美味しそうですね。
ぶっかけご飯とか、男らしい食べ方私も好きです 笑
沖田先生の言葉、あんな風に素で言われてしまったら、乙女心はもうドッキュンですよねv
色んな意味でご馳走様でした。
那由さん、ありがとうございました^^

2008.01.13 空子

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送