雨が、降っていた。
熱
寒いなぁ、と呟いたら、土方さんに女々しいことをぼやくなと怒られた。
京は夏暑くて冬寒くて、移ろう季節は不意をつくように来襲する。
つい最近まで暑いと扇を仰いでいたのに、降り続く秋雨に、急激に身を縮めて震えなければならないのも、ここでは当たり前の季節の情景だった。
冬物の羽織も出さなきゃならないなとぼんやり思いながら、火鉢の恋しくなる季節ですねぇと言ったら、寒いぐらいでガタガタぬかすなと、また土方さんに怒られてしまった。
多感な豊玉宗匠は、どうやらあはれな風情の景色を眺めながら句作に耽っているようだった。
庭を眺める視線が、いつもより少し滲んで、少し遠い。
要するに邪魔をするなというあの人の照れ隠しなのだ。
副長室を出て、後ろ手に障子を閉めながら、低い雲を眺める。
雨は依然、止む気配はない。
氷雨みたいに凍える寒空に、少しだけ身震いして、私は冷え切った指先を口元に運んだ。
息を吹きかけてこすり合わせるも、束の間の暖は秋雨の中に融けて消えていく。
今夜の巡察も大変そうだ、と思わずひとりごちた。
「沖田先生っ」
声をかけられて振り返ると、頬を上気させた神谷さんがいた。
少し、息が切れている。
「皆さん道場でお待ちですよ、早くなさってください」
神谷さんが腰に手を当てて仁王立ちすると、少しだけ結い上げたまっすぐな黒髪が揺れて、膨れた紅い頬に少しだけかかった。
雨にくすんだ世界に、そこだけ艶やかで鮮やかだった。
「あれ、もう稽古の時間ですか?」
間延びした声で答えると、小さく神谷さんのこめかみが動くのが見えた。
つりあがった眉毛も小さく震えて、迷いない瞳が長い睫毛の向こうから私を睨み上げている。
「とっくに始まってますッ! 一向に先生がいらっしゃらないから、みんなで探してたんですよ!」
手鞠のように跳ねて私に迫るその小柄な身体を、精一杯大きく振り回して。
力の限り怒りをあらわにするこの少女は、驚くほどにまっすぐなのだと改めて感心してしまう。
「もう、早く支度なさってください」
返事の前に、あくびひとつ。
「はいはーい」
「……ハイは一回!」
「ハイッ!!」
あまりにもの剣幕に、反射的に、まるで雷に打たれたような、らしくない小気味のよい返事をしてしまう。
もう、さっさと行きますよ、と言いながら神谷さんは乱暴な足音で歩を進めていく。
そんな後姿を、私はじっと眺めていた。
凛とした、強い意志の。
思わず、少しだけ口の端が浮かんでしまう。
「……なんですか?」
訝しげに、神谷さんが私を振り返って、そして私の手を強い強い力で引いた。
突然の触れた熱に動転して、思わず目を見開いてうわっ、と情けない声を上げてしまった。
「……神谷さんの手、熱いですね!」
触れた指先は驚くほど熱くて、冷えた寒い空気を溶かしだすほどに。
「そりゃあ熱いですよ、だれかさんが来るまでって言いながらみんなでずっと素振りしてましたから」
「いやぁ、でもほら、女子って冷性っだてよく言うじゃ……」
私の言葉はみなまで言わせず、神谷さんの拳が気持ちいいくらいに私に襲い掛かる。
さっきよりも幾分か怒気と殺気の入り混じった、ひきつった笑顔が向けられる。
「……だれがなんですって?」
「…………神谷さんは男の中の男だから関係ありませんねッ」
あわてて取り繕うように冷汗混じりにへらりと笑ってみると、まったく、と呆れ顔で神谷さんはまたむこうを向いてしまう。
私は少しだけぎこちない笑顔を準備して、ひとつ呼吸して、そして神谷さんの手を振り払った。
「……先生?」
訝しげに見上げる、小さな可憐なその顔。
「着替えて、きますから」
すぐに行きますから先に行ってくださいと。
上手く、言えただろうか。
成功していたとは思わなかったけれど、失敗はしていなかったのだろう、はぁ、と何事もなかったような、少し間抜けな返事が返ってきた。
神谷さんの後姿を眺めながら、私は自嘲する。
熱い、熱い、
貴女の指先。
伝わる熱。
痺れたように、私の指先を侵す熱。
神谷さんが廊下を折れて姿が見えなくなったのを確認して、私は自分の手にそっと唇を寄せる。
それは、あのひとの残した熱。
それはゆっくりと血に溶け込み、血に乗って体中を走り、頬までも熱く染め上げる。
あなたは誰よりもまっすぐで、誰よりも強く、誇り高く。
あなたに触れることは、私なんかには許されないから。
だから、私はあなたに隠れて、あなたの残滓をいとおしむ。
熱。
あなたのくれた熱。
私の身体を、駆け巡る。
それは、焦がれて止まない、私を導き動かす衝動と祈り。
だから、
ずっと走っていて。
ずっとまっすぐ前を見ていて。
この熱が閉ざされないように、
ずっと笑っていて。
沖田先生、気持ちの意味に早く気づいてー><
そう願わずにはいられません。
空子
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